節約主婦の悪戦苦闘・節約してお金を生み出す裏技

2011年01月14日

[ 子育て支援の歴史「この家族に歴史」を書き始めたころ

しばらくぶりで「子育て支援の歴史」を書き始めたころのページをめくってみました。



平成9年6月から始まっていたこのプログは、日記風の語り口で書くことに決めていたのにいろいろと迷走していました。

これから、少しずつ整理して読みやすいものにしていこうと思います。



はじめにわたしたちの歴史を書きます。
わたしと夫、それに娘が一人の3人家族でした。



夫は、公立学校の教師、わたしは、少年団関係の事務、娘は、後に、児童館の先生になりました。
考えてみると、3人とも子育て支援に関わる仕事をやっていました。夫も娘も、みんな子供会やスポーツ少年団などとの行事が好きでした。

ちびっ子1.jpg

いつも、家の中は、子どもたちの声で賑やかでした。
もちろん、仕事とのかかわりもあったからです。


そのような事を日記風に書いてみたいと、以前から思っていました。



夫が、胃がんの宣告を受けたとき
娘は、上の子をお腹のなかに宿していました。

娘、娘の夫とわたしたち夫婦4人で、幸せな生活をしていたときの突然の宣告でした。



わたしは、この現実を「何とかしてそのことを本人に伝えないで済ましたい」とおもいました。



手術が終わって、目が覚めたとき、わたしは、ベットの側で笑っていました。
しばらくわたしの顔を見ていた夫は「ママが笑っているからだいじょうぶなんだね」といいました。
わたしは、笑顔でうなずきました。笑顔は、病室だけの顔でした。

逃げ出しがたいこの現実、逃げ出すために、パソコン教室に通いはじめたのでした。



当時、わたしは、子育てを支援する役所に務めていました。アクテブな場所なので、外での活動が
主でしたから、その間は、夫の病気のことを考えないですみました。



夕方から、パソコン教室でキーボードをたたいているとそれ以外のことは考えないので、いいのでした。




2年後の秋に、夫は旅立ちました。
長年の相棒がいなくなることは、ショックでした。



ボーとしていてやっと「一日がやっと過ぎた」と、言う毎日から早く抜け出すために仕事で覚えたきたスキーをするようになり山へ行くようになりました。



雪の山を滑って、遠い景色を見る!
仙台と山形をつなぐ仙山線に「面白スキー場」があります。

そこは、電車から降りるとそぐリフトです。そこでおばさんたちのサークルをつくりました。



そのサークルの名前は「エーデルワイス」その仲間たちに支えられて、わたしは、立ち直りました。


しかし、スキーは、シーズンが短いのです。
そのほかの時間は、「何に使いましょうか」と考えました。
もう、仕事は、止めていました。

社交ダンス.jpg

体が老化しないように鍛えておかなければなりません。
スキーと同じように筋肉を使うダンス・・・

社交ダンスは、ただの男女の遊びと考える風潮がありますが、ハードなスポーツなのです。

「ハイヒールで床をつかむのですよ!」
と言う声がいつもかかりました。

おかげさまで足腰が鍛えられて元気に立ち直りました。


posted by ノンビイ at 11:04| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ノイビイさん、色々大変な時期をお過ごしだったんですね。
体を鍛えるって事は、良い事ですね♪
これからも頑張って下さい!
陰ながら応援しております♪
Posted by がき大将 at 2011年01月16日 17:35
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。