節約主婦の悪戦苦闘・節約してお金を生み出す裏技

2011年05月07日

さくらんぼを求めて、山形蔵王旅行を・・・

さくらんぼを求めて蔵王温泉旅行をしてみませんか?
  


サクランボは有史以前から食べられていたそうです。

原産地は、イラン北部からヨーロッパの北部にかけて野生していたそうです。

さくらんぼ1.jpg
(この写真の著作権はWikipediaにあります)


昭和30年代、山形は、米作りが中心で、それ以外に主な産業がありませんでした。

蔵王と言う景勝地があり、豊富な温泉が湧き出ていることから、観光産業を起こそうという計画が考えられたそうです。

そのことで、山形県の観光、文化は、目覚ましく発展して現在に至っています。




冬の蔵王は、樹氷で有名です。

その姿を見ようと、スキーやスノーボードを抱えた人々があるまります。
冬の蔵王は、張り巡らされたロープウエーやリフトから、眺める景色は絶景です。




温泉も湧き出ていて、スキー場の中でも湯煙が上がっています。



しかし、勤勉な山形人の県民性でしょうか?
冬だけの賑わいに満足していませんでした。



その地形を利用して果物作りが盛んになったのです。


南陽市のブドウ!

上山、天童のサクランボなどです。



今では、ブドウもサクランボもハウス栽培です。



観光ぶどう園や観光サクランボ園もたくさん出来て、春から夏にかけてもにぎわっています。

佐藤錦.jpgナポレオン.jpg
(この写真の著作権はWikipediaにあります)


その中の王者が「サクランボ・佐藤錦」です。

結構、手が掛かるので値段も張っていますが5月〜6月は、さくらんぼ狩の観光バスが山形に向かいます。【遅れてゴメンネ母の日さくらんぼ】【母の日 カーネーション】


幸い、震災の被害も少なく、被害を受けた人たちを暖かく向かえいれてくれる県民性を持っています。


これから、サクランボの季節が始まりますので、蔵王を基点にして山形観光にお出かけください。

 
山形旅行ー観光、温泉、名所、宿泊





posted by ノンビイ at 15:39| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月27日

沖縄焼きそばは、笑味たれが決めて

沖縄焼きそばレシピ


沖縄焼きそばは、沖縄そばと笑味たれの味が決めてです。
それに、溶き卵をつけて食べるのが格別です。


沖縄焼きそば




材料(2人前):


 沖縄そば     300g

 豚三枚肉(バラ肉)30g

 キャベツ     2枚

 たまねぎ     中半玉

 にんじん     少々

 ニラ       少々

 かつお節     1パック

 紅ショウガ    少々

 調味料 「笑味たれ」(カツオだし少々、ソース少々、醤油)

 卵        ときたまご





1)下ごしらえ
 
 沖縄そばをザルにあけ、熱湯を注ぎ、表面の油を落とします。
この作業を飛ばすと、そばが脂っくさくなります。



 キャベツ、ニラは食べやすい大きさに適当に切ります。
 たまねぎ、にんじんはスライスします。




2)炒める 

 
 フライパンに油を引き、豚肉を軽く炒めます。
野菜を入れ、全体に火が通ったら、いったん具を皿にあけ
 かわりに沖縄そばをフライパンに入れ軽く炒めます。



 具をフライパンにもどし、カツオだしを少しの水で溶いて入れ、ソースで味付けをします。
 


最後に隠し味で醤油を少したらして出来上がりです。
 かつお節、紅ショウガを添えます。




笑味たれ


TVで紹介された沖縄の万能たれ、笑味たれのお得なギフトセットです笑味の店 笑味たれギフトセッ...









posted by ノンビイ at 17:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月09日

エステに行かなくても出来る脚やせの秘密

効果的に脚を細くする脚やせマニュアルを紹介


これで細くならなければ、全額返金します。



詳しくはこちらから

DVD.jpg


脚は、手入れをしないで自然にまかして置くと、取り返しのつかない
状態になってしまうことをご存じですか?


わたしは、一日中、立っていている仕事を長年続けてきました。
した。
脚に対する負担や脚のケアーについても考えたことはありません


お風呂に入っているとき、なんとなく自分の脚に触ってみての感触に
驚いて、明るい光の中で自分の足を、よく、見てみました。



脚先は、ぼろぼろで太ももからお尻にかけては、セルライトふくらはぎたるんでいました。


鏡に向かって立ち姿を見た私は、自分の立ち姿に、さらに衝撃を受けました。
脚が曲がっているばかりか、脚と脚の間に隙間ができていました。

脚やせ2.jpg

「このままにしてはおけないわ」忙しい仕事の合間を見つけて、行きつけのエステにかけこみました。


脚は、かまわないのに、顔は、構っていたので行きつけのエステが
ありました。そこで、相談したのです。



「脚のコースをセッテングしましょう」
その場で、用意してくれて脚のエステをしました。



「気持ちいいですね!」
考えてみれば当たり前のことですが、このお試しコースで虜になった
脚のエステでしたが、それは、その場ばかりの効果だったのでした。


脚やせは、自分で持続する方法を身につけなければ意味がありません。


脚に、水分がなまったり、毒素がたまったりしてむくみになり、セルライト
としてたまっていくのです。

脚やせ.jpg


これらを貯めてしまうことは、健康を損なってしまうことにもなりかねません。


「エステに行く必要のなくなる脚やせ法」は、自分で脚やせを実行し
それを持続する方法を伝授しています。



健康を保ち、理想のスタイルを目指したいあなたは、ぜひ、この方法を
おなめしください。


小林博美の脚やせ法はこちら


posted by ノンビイ at 17:20| Comment(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月04日

くびれ美人を作る、ウエストサイズ物語

1、速効スリムになる為のエクササイズ

ウエストサイズストリー

ダイエット 1.bmp1、速攻でスリムになるための、『30秒エクササイズ!』動画!

わたしは、太っていると言うだけで、鬱陶しい存在と言われたり、男の子から
無視されたりで悲しい毎日を送っていました。ですから

「スリムレイデイになって、イケメンな男の子を振り向かせてみたい」
と言う願望は、常に頭から離れませんでした。




しかし、あるきっかけで、このマニュアルに出会い、実際に実行することが
出来たのです。

それは、「いくつかの簡単なこと」の組み合わせで、出来てしまったのです。


・スリムノウハウ+30秒エクササイズ+個別メールサポート


・速攻スリムの7DAYSプログラム

このプログラムは、夢のボデイを実現させてくれました。
なにしろ、「くびれ美人」になるためのすべてのノウハウが詰め込まれていたのですから




お腹からスッキリスリムになっていきました。 
それが「くびれ美人を作るウェストサイズストーリー」の特徴だったのです。

食べたい物が、食べられて、お腹周りの脂肪が落ちていきポッテリ体型がスリムに
なっていくのです。スリム体型獲得のために、多くの人が様々な誘惑に耐えて頑張って
いますが世の中には、羨ましい人たちがいるものです。



それは、食べてるのにちっとも太らない、
「いい体質だですねー」そんな声が聞こえてきました。
実は、体質が全てではないのです。




美味しく食べながら太らない理由をあなたは知っていますか?



それさえ理解していれば、食べ過ぎたって大丈夫なのです。
あなたは“太る条件”と“やせる条件”の両方を理解しているのですから。
取り返しが付かなくなる前に体型をスリムに戻す方法をとればいいのです。



このプログラムを実践された方は、本当のスリムを獲得してしまています。
一度、この方法を身につければ、たとえ太ってしまっても自分自身でそれを実践して
元に戻すことが出来るようになっています。


これは、本当に一生ものの方法です。
続きをご覧ください!!くびれ美人を作る方法

posted by ノンビイ at 10:31| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月07日

ー10kgダイエット成功の秘訣@これはすごいスキンケアー

社交ダンスでダイエット:10kg痩せた秘訣



健康で美しく楽しい生活をしたいと言う願望を持っているあなたに
美しくなるための情報をお届けしたいと思います。

女性がいつも思うことは「スマートになりたい!」
たとえ、太っていなくてもそう思うのです。


パーテー

クリックで大きくんります



私の趣味は、ダンスです。
社交ダンスを習う前は、この写真より10キログラムも太っていました。



太ったおばさんのダンスなんて見たくなあ〜い(笑
誰だって思いますよね(ウフ
それが、ダイエットして変わったんです。



どんなダイエットをしていたかって、それはね




3月の声を聞いて春めいて来た日本列島です。
暖かくなると心もうきうきで、自分の姿が気になり始めます。
行事が多くなり、外出も多くなる季節です。



人にお会いする時は、第一印象が大切ですね。


ダイエット

写真をクリックすると大きくなります。


ダイエット前の私は、まるで子ブタさんみたいでした。



ダイエット後は、なんとか?(ウフウ
見られるかな?




「これなら、ダンスしてもいいよ!」
と、言ってもらえるでしょうか?



この時がダンスを始めてから8年目位でした。
体重が57キロから45キロになりました。
身長、153センチの人が57キロもあったんです。



スマートになると、
ダンスパーテーでの男性の反応も違うのです。
お誘いがとどまることはないのです!




壁の花はもうおしまい、本当に、びっくりしましたよ!
でもね!ここまで来るのが大変だったの!
やっぱり綺麗になるのは大変なんです。



あしたから、わたしの一年間の変身術のお話しをします。
興味のある方は読んでください。
お楽しみに!



posted by ノンビイ at 15:11| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月25日

OL主婦の子育て@錬金術A子育てに奔走するママ

A子育てに奔走するママ



3月になると、行事が重なってきます。
受験シーズンに入って、高校受験、大学受験、就職、などなど乗り越えなければならない苦労があります。


それに加えて、卒業式、終業式がおわると学校が休みになります


すると、どこの家庭でも戸惑う事が多いですが、常に学校を頼りにしているのですけれど日常の事なのであまり意識していません。



でも、長いお休みがつづくと「はっ」としたりします。
「食べる事」「遊ぶ事」「勉強する事」で困ることが出てきます。



まず、食べることでは、「給食ないからがあるからどうしょう」
ということです。お昼の用意をする心配が出てきます。


遊ぶことも、学校に行っていれば安心です。こどもたちが自ら考え出して遊んでいますから
遊ぶ道具も揃っていて安全に管理されています。



何よりも勉強に付いて安心なのは言うまでもないことです。
全部、家庭でやるのは大変です。
こどもが家庭では、自分から進んで何かやると言う習慣がうすれているからでしょうか?



本当は家庭がなにをやるのにも中心で全てそこから出発しているはずなのですが?
何時からかこの考え方が忘れられがちになっています。もう一度、家庭のあり方を考え直しえみる事が大切です。


受験費用は、滑り止めの受験などもあり大変ですが予算を組んで計画的に

卒業準備費、これは常日頃から考えておくことが大事です。無理のない準備をしましょう。

春休みの生活費、こどもたちが家にいる分のお昼代などが多くかかるかもしれません。


ママの役目は、重いです^^


posted by ノンビイ at 11:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月21日

OL主婦の子育て@錬金術@あまりお金をかけない育児・子育て生活

なるべく、お金をかけないで育児や子育てをするには


赤ちゃんが生まれてから、成人するまでの間のお金の使い方、子育ての仕方、子育て支援の仕組みを体験談を通して紹介していきます。


子育ても成長に合わせて考えなければなりません。
なにしろ、親も子どもの成長に合わせて親も成長するものなのです。


あなたは、このことに気づいていましたか?
不思議なもので、自分の子どもが小学校の5年生なら、親も、やっと、5年生だな!と思います。


あるときのことでした。


5,6人のお母さんたちと話していました。

「卒業式ってさびしいもによ!」
と、行ったお母さんがいました。


わたしは、

「卒業式の日は、親はうれしいものなのでしょう」
と、切り替えしますと

「先生は、何もしらないんだね?親は、さびしいんですよ!もう、小学生はいなくなるんですもの」
というのです。

「そう言う気持ちになるものなんですか?」

「そう、そう、先生の子どもさんは、今、5年生だから先生も5年生なんだ!」
と、言うではありませんか?


わたしは、

「なるほど?!」

と頷くしかありません。

上に、兄弟姉妹がいる場合は、年齢の上の子どもの成長に合わせて
親もそれくらいの子育て年齢なんですね!


親も子供と共に成長しているんだな!!
と、このとき、つくづく考えさせられたものです。



家には、男の子が二人います。

小学校の高学年と中学生!!

まさに、食べ盛りです。



「ただいま・・・!」
と、言う声が聞こえたと思うと、



次に、出てくる言葉は、

「腹へった!!」です。



身も心も成長しているんですね。

食の面についても、親は、子供と共に成長しなければなりません。
親は、自分が子どものとき、どのくらい腹が減って、どのくらい勉強しなかったかなど、とっくに忘れていますから、・・・?



親は、子どもの成長を助ける家庭教師にならなければならないな!と、思います。




posted by ノンビイ at 13:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月13日

アトリエアンジェ物語Iリオンくんとおばあちゃん

(10) リオンくんとおばあちゃん



都市郊外に急激に発展した地域・柳生(やなぎゅう)この名前から類推しても

「ああー、むかしは、鄙びた所だったんだ。」
と、思うような町名です。




そんな場所に、アンジェたちの一家は、40年前に家を建てました。

にんじん畑が広がり、水田もちょっぴりまだ、残っていました。
田んぼに仕掛けられた、雀追いの鉄砲が鳴ると眠っていた赤ちゃんのアンジェが驚いて目を覚まし泣き出してしまうほど凄い音を出す仕掛けでした。




10年ぐらいの間に、新しい家が次々と建てられ、町並みが出来ていきました。
そのかわり、畑を囲んでいた椿の垣根は、切り倒され、となりの天神さまの大きな杉の木は切られ、毎年、来ていたカッコウがこなくなりました。




新しい橋が出来、都心まで10分足らずで行けるようになって交通量が多くなりました。
大きなショッピングモールができました。




ガソリンスタンド、食べ物の店が立ち並び、老人ホーム・医療関係施設が増えました。
植木を造っていた畑が消え田んぼが消えてある日、突然、町が出来上がりました。




農地が消えて、住宅地が出来ていくと、高層建築物が軒を並べるようになって小学校ができ、中学校が建てられていきます。




この信じられない速さで変わる地域の変貌を見て居て思うことは、周りの変化に比較してみて、人間は、そんなに早くは変われないんだ!
と、言う事です。




アンジェは、男の子二人のお母さんをやりながら、海の見える児童館の先生になりました。


むかし、アンジェのママが夢見ていたような児童館でいそがしい毎日を送っています。





アンジェの家族は、ヤングとリオンの兄弟、アンジェのだんなさん、それに、アンジェのママ(おばあちゃん)に5人です。



アンジェの家の両隣には、一軒やです。
どちらも、二階建で、右隣は男の子が二人仲の良い兄弟です。

左隣は、女の子が二人の姉妹です。
向かいの家は、男の子と女の子の兄妹す。



子どもたちが成長するにしたがって親たちはだんだん年を取っていきます。
当たり前の摂理ですね。




今日は、授業参観の代休で小学校はお休みでした。
リオンくんは、お母さんがお勤めの事も忘れてみんなに言いました。

「お昼に集まれる?庭でパーテーするから!」

「いつかみたいにカレーパーテーか?」



たっくんは嬉しそうな顔をして聞きました。
リオンくんは、夕ご飯のときママに言いました。

「明日、庭でパーテーしてもいい?」

「誰が作るの?」

「えっ!ママでしょう!」

疑うようすもなく、無く言ったのに、ママは、平気な顔で

「仕事でしょう。ママは、仕事よ!」
リオンくんは、困りました。



自分がお休みのときはママもお休みだと思っていたからです。

「どうしょう?」

「そういう時は、ごめんね!て、誤るのよ!」

「うん」

リオンくんは、受話器を持って自分の部屋に駆け込みました。



電話が終わってニコニコ顔をしたリオンくんが二階から降りてきました。

「連絡付いたよ。スポツ少年団の連絡網でまわした。」

「自分は、野球にはいていないのに?」



次の日のお昼の事です。

リオンくんは、おばあちゃんを誘って生協ストアーに行きました。

「おうー」

お友達が沢山集まっていました。

「パーテーをするぞ!みんな好きなもの用意して!」

みんなが食べるものを買いに行きました。



「おばあちゃん、保護者になってね! 子どもだけだとまずいから」

お祖母ちゃんは、仕方なさそうに笑いました。
posted by ノンビイ at 11:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月12日

アトリエアンジェ物語H妹が欲しいリオンちゃん

Hリオンは「妹が欲しいのです」



リオンは、すくすくと育ち、仲良しの兄弟は、毎日が楽しそうです。
それでも、リオンにはどうしても欲しいものがあります。


「ママ!妹が欲しい!!」兄弟は、口をそろえて言うので、ママもパパも考えました。



そして、
クリンが家に来たのでした。



ペットやさんに通っていたリオンたち家族もこのパグ犬を見たとき決心したようです。
目が、くりっとして物憂げにリオンくんの顔を見つめてきたかわいらしさに

「この子にしましょう。」と、ママがいいました。


リオンもヤング兄ちゃんもパパもすぐに頷き店員さんを呼びました。
店員さんは、パグ犬を抱っこして

「この子は、イギリスの貴族の出身で血統書つきのお姫様ですよ」
などと言いながら、おどけて見せました。



店員さんが、持ち帰る準備をしてくれている間、家族4人は洋服の売り場に行って

「かわいいのがいいね!」と、言いながらパグ犬に似合う洋服を探していまた。



「家は、男の子ばかりで殺風景だから、少し華やかにしましゅう」
ママは、ピンクと白の袖なしを選びました。

「これでいいでしょう。次は、パパが選んでください」
嬉しそうに、楽しそうに、ママはみんなの顔をみました。



「おばあちゃん、気に入ってくれるかな!」
ヤング兄ちゃんが心配そうにリオンちゃんに言いました。

「大丈夫だよ。こんなに可愛いんだもの!」
リオンは、満面に笑みを浮かべました。




おばあちゃんは、パグ犬を見るなり

「可愛い犬だこと」と、言って両手を出しました。



パグ犬は、おばあちゃんに抱っこされて

「ウワン」と、声を出しました。










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2011年02月11日

アトリエアンジェ物語Gパグ犬とアンジェの家族

Gパグ犬とアンジェの家族たち



アンジェの子どもの頃のことを書きましたがアンジェは大きくなってこども国つくりプロジェクトに参加したりジュニアリーダーを育てたりすることを専門に学ぶ大学に入って今の児童センターに勤めるようになりました。



アンジェのママたちが夢見ていた児童館は、年月を経て社会に定着するようになりました。

慢性的に人手が足りないことや、予算不足はありますがこどもたちが帰ってからの居場所は確保されて安全な遊び場はできたことになりますね。



アンジェママが務めているのは、海の見える児童センターです。
ママには、男の子が二人います。



ヤング兄ちゃんがは、やっと、2歳に成ったと思ったら、弟が出来ました。
昨日の夕方、急に、ママが入院して8時頃には

「赤ちゃんが生まれたよ!男の子だ。」と、パパから電話がありました。



ママのお腹が大きくなって重そうに振舞っていたのは、よく見ていましたが弟がお腹の中から、出てきたなんてびっくりしました。

ヤング兄ちゃんは、弟と何をして遊ぼうかな?
などと考えたら、なんだか楽しくなってきておばちゃんに聞きました。




「赤ちゃん、見たい。どんな顔かな?」おばあちゃんは、ヤングの顔をまじまじと見て

「ヤングに似ていて可愛いと思うよ、明日、会いに行こうか」
と、言いました。



今晩は、おばあちゃんと二人で過ごすのです。
テレビでは、病院で赤ちゃんが生まれてくるところを写した番組を流していました。

「ヤング!おぼえておくんだよ。弟がお母さんのお腹から出てくるところを」
おばあちゃんは、真剣なまなざしでヤング兄ちゃんを見つめました。



「名前は、何というんだろうね!」ヤングは、テレビを横目で見ながら明日、弟に会いに行く事を考えていました。


弟が生まれて賑やかな家族ですが、ヤングと弟のリオンは、どうしても妹が欲しいのです。










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2011年02月09日

アトリエアンジェ物語F独立家屋に引っ越す

F 独立家屋に引っ越して3人暮らしが始まった!


アンジェとかあちゃんの関係が親密になってきて、阿東さんの家族との中にも不満が出て来ているのではないか?
と、言うこともママは考えました。



昼の間
子どもを預けていることもあって大家さんとの良い関係を続けながらアンジェに自分の家は、何処で家族の一員であるということを分からせていがなければなりません。


「あしたから、自転車で通勤だよ!」
ママが言い出したので、

「どうしたの?」
アンジェは、不思議そうな顔をしました。



「アンジェも大きくなったのだから、パパとママとアンジェと三人で広いところに引っ越しだ」
パパは、アンジェを高い高いしました。


ちょうどその頃、大家さんの阿東さんの貸家が出来上がり住む人を探していました。
ママは、決断しました。



家族だけの生活の始まりです。

「同じ大家さんなのでからいいだろう」
と、思ったからです。


パパも賛成しました。
「お庭もあるし、お花を植えて楽しく暮らそう。」
ママは、少し忙しくなるけれど、パパにも手伝って貰らう。
そうすれば暮らしも楽しくなると考えて居ました。


その事をかあちゃんに話すと

「朝、連れてくるの大変ではないの?」
と、すぐには賛成してくれませんでした。



でも、やっぱりいつまでも人様を頼って生活して居てはいけませんね。
亜鳥井家の決断でした。


朝、起きて洋服に着替えてママの自転車に乗ってかあちゃん家まで行き、預かって貰う。

夕方は、ママが迎えに行って帰る。
独立した一つの家で3人で生活する。



今までは、お風呂も入れてもらい、朝もアンジェは、お布団の中に置いたまま出勤したりしていましたから、
今度は、本当に一家としての生活が始まったわけになります。



パパも、早起きしてお布団の出し入れなどを手伝ってくれるようになりました。
きっと、生活のけじめを付ければ、母親が誰かなどアンジェが迷うことも無くなることでしょう。
と、考えていたからです。








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2011年02月08日

アトリエ:アンジェ物語 Eアンジェのお母さんは、だれなの?

日曜日の出来事!アンジェが逃げた!?


庭から道路に繋がっている細い通路でかあちゃんが草取りをしていました。


アンジェは、真似をして草をむしろうとしますが草の力が強いので、アンジェは負けてしまいその反動で転びそうになりました。


かあちゃんは、慌ててアンジェを抱きとめ
「アンジェは、危ないから、あっちの方で遊びなさい!」
と通路の下の畑におろしました。


畑には、かあちゃんが丹精こめて育てた大根が青々と葉っぱを広げています。
アンジェは、喜んで大根畑の中に降りていきました。


勢いの良い大根の中にアンジェは隠れてしまいました。
「アンジェ、何処!」
かあちゃんは、慌てて探しました。



アンジェは、アンジェの背丈ほどもある大根を持って葉っぱのあいだから、顔をだしました。
「大きいのを取ったね。今度は、負けなかったか!」


かあちゃんは、草には負けたけれど
大根には負けなかったアンジェを見て微笑みを浮かべました。



向かいの「なんでも屋」に預かられている雪ちゃんがよちよち歩きでやって来ました。

二人は、面白がって大根畑の中を駆け回りました。
「何処にいるの? 大根の葉っぱが揺れるのは分かるけど、二人の姿は見えない!」
と、言ってかあちゃんと「なんでも屋」のおばさんは笑いました。


そのころ、アンジェは誰が母親なのかわかんなくなっていました。
アンジェがよちよち歩きの頃のことです。


ある日曜日の午後、ママは、押仕入れの整理に夢中でした。
アンジェは、お人形さんと二人でままごと遊びです。
「マリーちゃん、よくいらしゃいましたね!お茶をどうぞ!」
アンジェは、お人形と話しながら遊んでいます。


押入れの中の埃をかき出して塵取りに入れて振り返るとアンジェがいません。

「アンジェ!何処!」

ママは、慌てて台所へ行き庭の植え込みを掻き分けて探しました。

「アンジェ!!何処!」

ママの声は、苛立って来ました。」



大家さんに通じる廊下の片すみに古いミシンが置いてありました。
アンジェは、ミシンの足ふみの台に座って口をもぐもぐしていました。

「何を食べたの?」

ママは、驚いてアンジェを抱き上げました。

「あら、チョコレート?これ、どうしたの?」

ママは、アンジェからチョコレートを取りあげて怖い顔をしました。
アンジェは、足をばたつかせて泣き出しました。


アンジェは、ママの手を振り払い逃げ出したのです。
よちよち歩き、いや、よちよち走りで!

ママは、驚いて

「何処へいくの?」

と、後を追いかけました。



アンジェは、知らぬ顔をして真直ぐに大家さんの玄関に飛び込んで行きました。


廊下続きの住まいが便利だと思って暮らしていた亜鳥井家の生活でしたがアンジェが成長するに連れて心配事も増えてきました。

「アンジェたら、私が叱ったら、大家さんの家に逃げて言ったのよ!」
ママは、パパに言いました。


「アンジェは、母親が誰なのか分からなくなっているんだよ」

パパも、気づいていました。

「朝から、夕方まで一緒なのだから、仕方ないけれど?」

「だからって仕事を止める訳にはいかないし」

ママは、頭を抱えていました。


「ぼくが、アンジェと話してみるよ。彼女にわかるようにね!」

「御願いね!それでもこのままの状態が続くときは覚悟をしなければ!」

ママは、何か決心したようです。


「仕事は止めないよね!」

心配そうにパパは、言いました。

「もちろんよ!私から仕事を取ったら何もなくなるもの」


そうなのです。ママは、仕事が好きなのです。アンジェが生まれてから保育の仕事の大切さを実感しているところでした。


でも、問題は足元から起こり始めるものなのす。
ママは、何とかここを乗り越えなければ前に進めないな?
と、心の中で思い始めていました。









posted by ノンビイ at 12:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月04日

児童館設立:東洋の魔女が活躍した時代

アトリエ:アンジェ物語(5)東洋の魔女と児童館


古い話です。

東京オリンピックのころ、赤ちゃんだった人が主人公です。


主人公の名前は、アンジェ、話しているのは本人?


日本中で、一番テレビが売れた年、それは、この年だったと思います。


もちろん、地レジでは、ありません。
白黒テレビでした。

どこの家でも、テレビに釘付けになて居て朝起きるのが辛い日々が続いていました。



赤ちゃんに、お乳をあげるために夜起きる事は苦痛ではないのに、テレビに夢中になっていて
次の朝、起きられないのは困った事でした。




眠い目をこすりながら、仕事場に急ぐのがみんなの日課になりました。

「バレーボール凄いね!」

「女子も男子も」

「勝て居るときは、安心してみていられるのだけれども、危なくなると心配になるよね」

そんな話が飛び交っていました。



「東洋の魔女だて!」

「ジャンプする姿が魔女なのかな?」

テレビの普及するまでは、あまり見たことの無い世界が目の前に映し出され日本中が驚いているのでした。





金メダルの数が話題になり始めました。

メダルを取ることがそんなに簡単なことではないのに人々は、メダルの数に執着し始めていました。



アンジェは、開会式の綺麗な旗の波やユニホーム姿のお姉さんやお兄さんに興味を示すのか、音楽に反応するのかテレビを付けるとおとなしくなりました。



日曜日には、パパの寝巻きの懐に入れられて首だけ出した姿で画面を見ていました。
これは、我が家の子どもに可愛がり方と言えることでした。






「今日、PTAの総会があってね!

 町中の小林さんが
「児童館をつくろう」と発言したの?
 
そこにいたお母さんたちは、何のことか分からなくて困っていたよ」




大家さんのかあちゃんは、授業参観に行って総会にもでたのでした。


「東北大の事務室に勤めている人だって!小林さんって!」

「私たちが児童館て何に?

聞いたの、そうしたら

「子どもが、学校から帰ったら、遊ぶ所だって!」


「何も、家の庭とか、野原で遊べばいいでしょうにね!」

かあちゃんと隣の奥さんは、考え込んでいるようでした。




アンジェのママは、町の人々が児童館の役割を、まだ、理解していないんだ!と、思いました。



そのころ、町では、少しずつ働くお母さんが増え始め、学童保育やかぎっ子教室が話題になっていたのでしたがこの舘下の町では、意味さえも理解されないような現状のようでした。




「働くお母さんて、アンジェのママみたいな人のことでしょう」

アンジェが学校へ行くようになたら、家に帰ってこないで

「公民館の児童何とかに行くてこと!」

お母さんは、今にもそこへアンジェが連れていかれるかのように怒りをあらわにしていました。

その話を聞いていたアンジェ・ママは困った顔をしていまた。



これでは、幼児教室の開講の話なんて、きりだせないわ!!

アンジェ・ママは、心の中で自問自答していました。




子育についての願いは、今も昔も変わらないのです。

子育てに忙しいお母さんたちは、忙しい中でも子ども達の生活が安全で楽しいものであることを願っています。

それは、今も昔も変わらない願いです。



そのころ、アンジェの周りには信頼できる預かり主を探している働くお母さんたちがたくさんいたのです。その人たちは、欲を言えば、集団の中で、将来、自立に耐えられるような生活習慣を身に着けさせたいものだと願っていたのでした。



しかし、田舎の社会の生活では、「こどもは、家で母親が育てるもの」と言う考え方が一般的でしたので、「児童館の設立」「赤ちゃん教室」などと言う考え方は理解されがたいことでした。



「学校が終ってから、夕方までの間 みんなと仲良く遊んだり、宿題 やったりする所が 児童館なんでしょう。そうゆうところがあたら、助かるね」


呉服屋さんにお勤めの光子ちゃんのお母さんが言いました。


「役場では、その話がよく出るようになったの!」

と、ゆきちゃんのお母さんが言いました。



「ゆきちゃんのママ、今度の出張のとき、どんなところか見学してきてよ」

アンジェ・ママは、ゆきちゃんのお母さんと仲良しになっているようです。

「仙台では、まだでしょう。東京には、できているのかな? 調べてみる!」

ゆきちゃんのママは、笑顔を見せました。




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2011年02月01日

アンジェの物語 C赤ちゃんの入浴はおばあちゃんの手を借りて!

マイ、アトリエ・アンジェ(4)赤ちゃんの入浴



阿東さんの家の隣に89歳になるおばあさんが住んでいました。
おじいさんは、便利屋さんという仕事をした人です。


バッパ!アンジェを湯に入れるから手伝って!!」
お母さんが声をかけると
「今、行くから待ってろ」
おばあさんはニコニコした顔で表れます。



「赤子は、いいね!ぷくぷくして可愛くて、みずみずしくて!」
バッパは、口癖になて居ることばを今日も口にしました。



お湯をバケツに入れてお母さんが現れ、大きなタライに入れるとタオルに包んだ
アンジェを静かにお湯に付けていきます。
バッパは、ガーゼを持ってやさしく赤子の体を洗っていきます。
「気持ちいいねー、気持ちいいでしょう。」
お湯を手でしゃくってかけています。



赤ちゃんは、乾いたタオルに移され、着物に着替えさせられました。
「さあ、お昼寝だよ!」
「気持ちいいから、すぐ寝るよ」
バッパは、目を細くしてアンジェの顔を見ながら、会話を楽しんでいるようです。



「ばあちゃん、じいちゃんに頼みがあるんだけど、仕事大丈夫かね」
おかあさんは、便利屋さんの仕事をじいちゃんにしてもらおうと考えたようです。


「遠くじゃなければ何とかね。」

「バスに乗って大平の学校まで弁当を届けて貰いたいんだ」

「ああ、パパにか!」

ばあちゃんは、お母さんに頼まれたお弁当を持って帰っていきました。


これで、「お弁当はパパに届く」一安心です。



そのころは、まだ、保育所は、3年保育は4歳児から預かる事になっていました。

そのころは、まだ、働きたくても働きに出られないお母さんが多くこの館山町で保育園に入れる家庭は稀でした。


「小さい子は、親から離れない方が良いよ。やぱり!」

「でもね、これから、外で働く女の人が多くなるんだから、保育園での生活は大事だと思うよ!」

綾さんと澄江さんが、珍しく議論をしています。



「都会の人は、そうだとしても、この田舎ではね!」

と、言う澄江さん

「この町は、3年保育でも、4歳児からだから、可哀想だよ。見てご覧ん!
 ママが働いているのにアンジェは、保育園にはいれないからー」

綾さんは、保育制度の遅れを指摘していました。


「あら、アンジェ・ママは、アンジェが可哀想だから、お母さんに頼んだんじゃなかたの?」

澄江さんは、驚きを顔に表していました。

そうなんです。まだ、働くお母さんの時代ではなかたのでした。



保育園の子どもたちは、園庭の前にある「小鳥の家」に集まっていました。

「黄色い鳥は、インコ!」

「嘴が赤いのは?」

「ああ、あれは、文鳥!」

「あの目立たない鳥?は!」

「あれは、十姉妹」


アンジェ・ママは、小鳥たちが枝から枝に飛び移る様子を見ながら、子どもたちと話しています。
こんなときは、自分の子どものことなど思い出す暇は無いのでした。


ドクターベッタ哺乳びん 中耳炎でお困りの赤ちゃんに



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2011年01月19日

(3)大家さんの三人姉妹とアンジェ

大家さんはでは、女の子ばかりの三人姉妹でした。


仙台の電力会社に勤めている父ちゃん(お父さん)とかあちゃん(お母さん)
の5人家族です。



「離れ」には、アンジェの家族、パパ、ママ、アンジェの三人住んでいますので
この家には、8人の人が住んでいることになります。



アンジェは、おっぱいとミルクを飲んで日に日に成長しています。

生まれたときは、3060グラムだったのが3ヶ月の間に千3百グラムも増えて
元気な笑顔を振りまくようになてきました。




大家さんの三人娘たちがかわるがわるアンジェをあやしに来ます。
一番上のお姉さんの綾さんは、高校生で朝早くのバスで仙台の女子高までかよていきます。





綾さんは、学校に行く前に離れ座敷をのぞきに来ます。

「アンジェ!行ってくるね!」

一言ことばをかけるとパタパタと靴の音を残してバス道路の方に走っていきます。

「ぶーあぶ、ぶーあぶ」

アンジェは、小さな手を振って見送ります。





二番目のお姉さん、澄江さんは、

「アンジェちゃんのミルクできたよ。お出で!」

と、アンジェを抱き上げると横抱きにして哺乳瓶の口をアンジェに含ませてくれます。

まるで、お母さんみたいに暖かい膝の上でアンジェはいい気持ちで眠ってしまうことも度々です。




三番目は、安子ちゃん!

かあちゃんは、「安べい」と呼びます。

今年、小学校の一年生!

「アンジェなんが、大嫌いでよー」

と、言って舌を出し「ベロベロ バア!」とおどかします。





三人がそれぞれ学校へ行ってしまうとアンジェは、かあちゃんとゆっくり遊びます。

「アンジェ、今日は、畑の草取りだよ。おとなしくするんだよ」

お母さんは、アンジェを背中におんぶして手ぬぐいをかぶり畑に出て行きました。




そのころは、まだ、働くお母さんは珍しく、この館山町で保育園に入れる家庭は稀でした。

「小さい子は、親から離れない方が良いよ。やぱり!」

「でもね、これから、外で働く女の人が多くなるんだから、保育園での生活は大事だと思うよ!」

綾さんと澄江さんが、珍しく議論をしています。




「都会の人は、そうだとしても、この田舎ではね!」

と、言う澄江さん



「この町は、3年保育でも4歳児からだから可哀想だよ。見てご覧ん!
ママが 働いているのにアンジェは、保育園にはいれないからー」

綾さんは、保育制度の遅れを指摘していました。




「あら、アンジェ・ママは、アンジェが可哀想だから、かあちゃんに頼んだんじゃなかたの?」
澄江さんは、驚きを顔に表していました。

そうなんです。まだ、働くお母さんの時代ではなかたのでした。



保育園の子どもたちは、園庭の前にある「小鳥の家」に集まっていました。

「黄色い鳥は、インコ!」

「嘴が赤いのは?」

「ああ、あれは、文鳥!」

「あの目立たない鳥?は!」

「あれは、十姉妹」

アンジェ・ママは、小鳥たちが枝から枝に飛び移る様子を見ながら、子どもたちと話しています。

こんなときは、自分の子どものことなど思い出す暇は無いものです。





アンジェのママは、出産の時、輸血をしていました。
その後、このことは、一家にとての一生抱える問題になたのです。




輸血による肝炎、その頃は、ビールス性肝炎と言われていて輸血のほとんどが
売血でまかなわれていた時代でしたので命の危険からの脱出だけで安心してしまて居ました。

が、発病は、2週間後にやってきました。



治療は、毎日の注射と飲み薬が山ほど、気だるく破気のない毎日がつづき
せっかくの夏休みも暗い顔で過ごす日が多く、アンジェが可哀想でした。




「おばあちゃんの家に行こうか?」
パパが、言い出しました。

「お盆には、まだ、早いでしょう!」

ママが、躊躇しているのを横目で見ながら、パパは、外出の準備の荷物作りを始めました。




バスに乗って、汽車に乗って
東北本線上りで40分余りのところにおばあちゃんの家があります。

「アンジェ!よく来た!よく来た!」

と、おじいちゃんもおばあちゃんもアキおばちゃんも
モエおばちゃんもかわるがわるアンジェを抱っこし合いました。




賑やかなところに来てアンジェは、興奮したのか

「ブーブーアブアブ」

と、訳の分からない事を言い続けています。




夕食になりました。

アンジェは、まだ、食べられませんがパパは、大喜びでおじいちゃんとビールを飲んでいます。

ママだけは、だるそうにして何も口にしません。




ママの姉妹たちは、そんな事にお構いなくトウモロコシや枝豆など口に運びます。

「お母さんの作ったものは、美味しいから、お姉ちゃんも少し食べたら」

と、言って進めます。



それに、つられてママが、箸を取りました。

アンジェは、「よかった!」と思いました。



EIA育児相談




posted by ノンビイ at 20:37| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月17日

ノンビイかあさんの願いは、保育所と児童館を作ること

● 赤ちゃん友だちが3人・ゆきちゃん・みきちゃんとアンジェ


ノンビイに赤ちゃんが生まれて、その名前を「アンジェ」と言いました。
いや、今も名前は変わりませんが、だれも、アンジェちゃん!
なんて呼びませんがね。



わたし(ノンビイ)の家族は、パパとわたしとアンジェの3人になりました。
アンジェの家は、阿東さんの屋敷の離れ座敷です。
そこは、わたしが保育園に勤めるために借りた部屋に夫であるパパが住みついて
アンジェが生まれたと行くことです。




昔はこの田舎の町は、まだ、アパートなどと言うものはありませんでした。

アンジェの母は、学校を卒業して、この町に就職したのでした。



新しい職場は、保育園の保母さんです。
役場の人が住む場所として、お世話をしてくれたのがこの阿東さんの家の離れだたわけです。


この離れの部屋は、6畳に広い周り廊下が付いていました。そこは、1部屋ぐらいのスペースが
あったので、こどもを遊ばせたりするのには、十分でした。
ていねいなつくりの、建物だったので隙間風一つ入って来ませんので快適な生活が出来ました。




保育園は、役場と小学校の間に建っていて、園児が遊ぶときは小学校の校庭を使いました。

幸いなことに小学生の子どもたちは、小さい子どもの面倒を見てくれるので
園庭が無くても余り不便は感じていなかたようです。




働くお母さんが増え始めた頃だたのでアンジェの母は、朝早く出勤していきました。


アンジェは、大家さんのお母さんと朝ごはんのミルクを飲みお散歩に出かけ
大きな桜の木のしたですずめが走り回るのを見ていました。



道を挟んで向かい側では、「何でも屋さん」がお店を開いていました。

あまり忙しくなさそうな「何でも屋」のおばさんも女の子を一人預かっていて
アンジェは、その子と遊ぶのが好きでした。



「ほうーら、アンジェ!ゆきちゃんがきたよ!」
阿東さんが頬ずりをしながら、アンジェをゆきちゃんの顔に近づけると
ゆきちゃんは、「きゃ、きゃきゃ」と、声を出して笑うのです。



それを見てアンジェは喜んで「あぶっ、ぶっ、ぱあっ」と、わけの分からない声を発して喜びます。
そんな事で、ゆきちゃんとアンジェはお友達になりました。



大家さんの阿東さんをアンジェは「母ちゃん」と呼びました。

もう一人、おばあちゃんに連れられて「何でも屋さん」に来る女の子、それがみきちゃんです。
三人のこども達のママは、みな働いています。



保育所は、4歳にならなければ入れませんでした。
三人のお母さんたちの願いは、赤ちゃんから入れる保育所にすることでした。



そのころは、まだ、何処も貧しく慎ましい生活をしていました。
父と母は、共働きで、朝早くから、忙しい一日の生活が始まるのでした。



赤ん坊は、「可哀想!」と言う父の一言で、その生活リズムからはずされました。

母の言い分もそうでした。

「わたしたちの都合で子どもを早朝から、たたき起こす生活を押し付けるわけには
行かない」と言うことで、わたしたちはアンジェが寝ている間に出かけていきました。



大家さんのかあちゃんがそのあとの世話を受け持ってくれました。
都合の良いことにアンジェは、離れに寝かされていましたから・・・
posted by ノンビイ at 12:47| Comment(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月14日

[ 子育て支援の歴史「この家族に歴史」を書き始めたころ

しばらくぶりで「子育て支援の歴史」を書き始めたころのページをめくってみました。



平成9年6月から始まっていたこのプログは、日記風の語り口で書くことに決めていたのにいろいろと迷走していました。

これから、少しずつ整理して読みやすいものにしていこうと思います。



はじめにわたしたちの歴史を書きます。
わたしと夫、それに娘が一人の3人家族でした。



夫は、公立学校の教師、わたしは、少年団関係の事務、娘は、後に、児童館の先生になりました。
考えてみると、3人とも子育て支援に関わる仕事をやっていました。夫も娘も、みんな子供会やスポーツ少年団などとの行事が好きでした。

ちびっ子1.jpg

いつも、家の中は、子どもたちの声で賑やかでした。
もちろん、仕事とのかかわりもあったからです。


そのような事を日記風に書いてみたいと、以前から思っていました。



夫が、胃がんの宣告を受けたとき
娘は、上の子をお腹のなかに宿していました。

娘、娘の夫とわたしたち夫婦4人で、幸せな生活をしていたときの突然の宣告でした。



わたしは、この現実を「何とかしてそのことを本人に伝えないで済ましたい」とおもいました。



手術が終わって、目が覚めたとき、わたしは、ベットの側で笑っていました。
しばらくわたしの顔を見ていた夫は「ママが笑っているからだいじょうぶなんだね」といいました。
わたしは、笑顔でうなずきました。笑顔は、病室だけの顔でした。

逃げ出しがたいこの現実、逃げ出すために、パソコン教室に通いはじめたのでした。



当時、わたしは、子育てを支援する役所に務めていました。アクテブな場所なので、外での活動が
主でしたから、その間は、夫の病気のことを考えないですみました。



夕方から、パソコン教室でキーボードをたたいているとそれ以外のことは考えないので、いいのでした。




2年後の秋に、夫は旅立ちました。
長年の相棒がいなくなることは、ショックでした。



ボーとしていてやっと「一日がやっと過ぎた」と、言う毎日から早く抜け出すために仕事で覚えたきたスキーをするようになり山へ行くようになりました。



雪の山を滑って、遠い景色を見る!
仙台と山形をつなぐ仙山線に「面白スキー場」があります。

そこは、電車から降りるとそぐリフトです。そこでおばさんたちのサークルをつくりました。



そのサークルの名前は「エーデルワイス」その仲間たちに支えられて、わたしは、立ち直りました。


しかし、スキーは、シーズンが短いのです。
そのほかの時間は、「何に使いましょうか」と考えました。
もう、仕事は、止めていました。

社交ダンス.jpg

体が老化しないように鍛えておかなければなりません。
スキーと同じように筋肉を使うダンス・・・

社交ダンスは、ただの男女の遊びと考える風潮がありますが、ハードなスポーツなのです。

「ハイヒールで床をつかむのですよ!」
と言う声がいつもかかりました。

おかげさまで足腰が鍛えられて元気に立ち直りました。


posted by ノンビイ at 11:04| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月01日

山形・蔵王名物…樹氷のライトアップ始まる

樹氷のライトアップが始まった蔵王スキー場


山形蔵王スキー場の樹氷のライトアップは、スキーを楽しむ者にとって
待ちどうしいイベント、みんなこの日を待っています。


今年も、順調に雪が積もったらしく美しい姿が楽しめそうでうれしい思いでいっぱいです。

樹氷1.jpg

新聞によると、15メートルの強風が吹きつける中、山形市の「蔵王温泉スキー場」
の名物樹氷のライトアップ」
が29日夜から始まり、初日から大勢の観光客で
にぎわったようです。

 

今年で22回目を迎えた樹氷のライトアップなので。
標高1660メートルにある地蔵山頂駅付近では、赤と青、緑、白の4色のライトが
樹氷原を照らし出しているようでわたしたちの合宿の日が待ちどうしい限りです。


樹氷2.jpg


12月29日午後6時ごろの山頂付近の気温は氷点下10℃まで下がり15メートルの
強い風が吹きつけていたそうですが、「蔵王ロープウェイ」によると
樹氷は数日前からの冷え込みや吹雪で成長し始め「スノーモンスター」と呼ばれる
姿に近づいているといいます。

蔵王スキー場1.jpg

29日は、遠くは沖縄県などから多くの観光客が訪れ、足を取られるほどの吹雪の中
ライトで浮かび上がった幻想的な樹氷を写真に収めていたようです。
樹氷は、2月初め頃に最も巨大となって、見頃になります。
posted by ノンビイ at 11:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月24日

安比高原スキー場:ウインタースポーツの醍醐味を教えてくれた安比高原スキー場

ウインタースポーツの楽しみを教えてくれた安比高原スキー場




安比スキー場.jpg21コース.jpg


安比高原スキー場は、原生林に囲まれた岩手県北西部にあります。

八幡台国立公園もすぐ近くにあって自然の美しさと雄大さを感じさせて
くれます。




標高1300m〜1500mの山々が連なっている安比高原はリゾート開発
第一弾として安比高原スキー場ができました。




蔵王の雪とは、また、違った極上の雪に目中まれて気持ちよくすべることが
できます。滑走できるコースが21もありますが、どのコースも山頂から
したに向かって伸びていますので、迷うことはありません。


滑走.jpg


滑りながら眺める風景は格別で、鳥海山から日本海まで見渡すことができる
絶景です。





周りには、豪華なホテルがたくさんありますが民宿も点在しており、そこの
利用は、格別に味のあるものです。





わたしたちは、女性だけのスキーサークルなので、林業センターを利用させて
もらっていますが安全で、いい湯が沸いていて、ご馳走も手ごろです。
更に、お値段は、格安なのでとても快適なスキーツアーができます。





ゲレンデには、それぞれ鳥の名前がついていて覚えやすいです。
滑走に疲れたらブナ林を散策したりして楽しむのもいいものです。



楽しいね!.jpg

今年で、安比スキー場ができてから30年になるそうです。
ウインタースポーツを楽しませてくれる安比高原スキー場は
わたしたちのスキーサークル「エーデルワイス」の思い出多い
土地となっています。


posted by ノンビイ at 15:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月06日

「エーデルワイス、スキーサークル」合宿はアストリアホテル



やすらぎと感動を与えれくれるわたしたちの宿アストリアホテル



アストリアホテル.jpg

「蔵王アストリアホテルは蔵王温泉街や鴫の谷地沼を見下ろす
ロケーションに位置する赤い屋根の建物です。



蔵王アストリアホテルは、ゲレンデ0分、周辺に散策コース
山頂まで唯一のアクセスである蔵王ロープウェイ山麓駅まで
ほどちかい最高のロケーションにあります。

ゲレンデレッスン.jpg

わたしたちのスキーサークル「エーデルワイス」は、10年間ぐらい
このホテルを基点に活動して来ました。



「エーデルワイス」は、約15年前に結成された主婦だけの
スキー・サークルです。



年月が経つにしたがって会員の高齢化の
問題もあって、だんだん人数も少なくなりました。



しかし、昨年は、仲間たちの旦那さん達が仕事を止める年齢に
なって奥さんといっしょに「エーデルワイス」に参加してくれる
ようになって人数が増えました。



技術は、ともかく、ロープウエーで地蔵まで登り
そこから滑り降りて来る爽快感はたまりません。

アストリアゲレンデ.jpg


樹氷高原をだらだらすべり、百万人ゲレンデで雪と風にさいなまれ
ユトピアまでたどり着く、そこで「ほっと」する、いつもの行程です。



今年もシーズンの合宿の日程も決まって、皆さん各自でトレーニングを
はじめています。雪の季節も山形蔵王もだんだん近づいてきました。


エーデルワイス.jpg

10年以上のお付き合いのメンバーなので
気心は存分に知り合っています。

夜は、地元の食材をふんだんに使った美味しいお食事を歓談しながら
頂き、その後は、露天もある源泉掛け流し温泉につかります。



夜が更けていっても談笑は、つきません。2日間だけの合宿になりましたが
蔵王の自然をまぶたに描いて、早く雪のシーズンが到来するのを待ちわびて
います。






posted by ノンビイ at 11:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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