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2011年02月11日

アトリエアンジェ物語Gパグ犬とアンジェの家族

Gパグ犬とアンジェの家族たち



アンジェの子どもの頃のことを書きましたがアンジェは大きくなってこども国つくりプロジェクトに参加したりジュニアリーダーを育てたりすることを専門に学ぶ大学に入って今の児童センターに勤めるようになりました。



アンジェのママたちが夢見ていた児童館は、年月を経て社会に定着するようになりました。

慢性的に人手が足りないことや、予算不足はありますがこどもたちが帰ってからの居場所は確保されて安全な遊び場はできたことになりますね。



アンジェママが務めているのは、海の見える児童センターです。
ママには、男の子が二人います。



ヤング兄ちゃんがは、やっと、2歳に成ったと思ったら、弟が出来ました。
昨日の夕方、急に、ママが入院して8時頃には

「赤ちゃんが生まれたよ!男の子だ。」と、パパから電話がありました。



ママのお腹が大きくなって重そうに振舞っていたのは、よく見ていましたが弟がお腹の中から、出てきたなんてびっくりしました。

ヤング兄ちゃんは、弟と何をして遊ぼうかな?
などと考えたら、なんだか楽しくなってきておばちゃんに聞きました。




「赤ちゃん、見たい。どんな顔かな?」おばあちゃんは、ヤングの顔をまじまじと見て

「ヤングに似ていて可愛いと思うよ、明日、会いに行こうか」
と、言いました。



今晩は、おばあちゃんと二人で過ごすのです。
テレビでは、病院で赤ちゃんが生まれてくるところを写した番組を流していました。

「ヤング!おぼえておくんだよ。弟がお母さんのお腹から出てくるところを」
おばあちゃんは、真剣なまなざしでヤング兄ちゃんを見つめました。



「名前は、何というんだろうね!」ヤングは、テレビを横目で見ながら明日、弟に会いに行く事を考えていました。


弟が生まれて賑やかな家族ですが、ヤングと弟のリオンは、どうしても妹が欲しいのです。










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2011年02月09日

アトリエアンジェ物語F独立家屋に引っ越す

F 独立家屋に引っ越して3人暮らしが始まった!


アンジェとかあちゃんの関係が親密になってきて、阿東さんの家族との中にも不満が出て来ているのではないか?
と、言うこともママは考えました。



昼の間
子どもを預けていることもあって大家さんとの良い関係を続けながらアンジェに自分の家は、何処で家族の一員であるということを分からせていがなければなりません。


「あしたから、自転車で通勤だよ!」
ママが言い出したので、

「どうしたの?」
アンジェは、不思議そうな顔をしました。



「アンジェも大きくなったのだから、パパとママとアンジェと三人で広いところに引っ越しだ」
パパは、アンジェを高い高いしました。


ちょうどその頃、大家さんの阿東さんの貸家が出来上がり住む人を探していました。
ママは、決断しました。



家族だけの生活の始まりです。

「同じ大家さんなのでからいいだろう」
と、思ったからです。


パパも賛成しました。
「お庭もあるし、お花を植えて楽しく暮らそう。」
ママは、少し忙しくなるけれど、パパにも手伝って貰らう。
そうすれば暮らしも楽しくなると考えて居ました。


その事をかあちゃんに話すと

「朝、連れてくるの大変ではないの?」
と、すぐには賛成してくれませんでした。



でも、やっぱりいつまでも人様を頼って生活して居てはいけませんね。
亜鳥井家の決断でした。


朝、起きて洋服に着替えてママの自転車に乗ってかあちゃん家まで行き、預かって貰う。

夕方は、ママが迎えに行って帰る。
独立した一つの家で3人で生活する。



今までは、お風呂も入れてもらい、朝もアンジェは、お布団の中に置いたまま出勤したりしていましたから、
今度は、本当に一家としての生活が始まったわけになります。



パパも、早起きしてお布団の出し入れなどを手伝ってくれるようになりました。
きっと、生活のけじめを付ければ、母親が誰かなどアンジェが迷うことも無くなることでしょう。
と、考えていたからです。








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2011年02月08日

アトリエ:アンジェ物語 Eアンジェのお母さんは、だれなの?

日曜日の出来事!アンジェが逃げた!?


庭から道路に繋がっている細い通路でかあちゃんが草取りをしていました。


アンジェは、真似をして草をむしろうとしますが草の力が強いので、アンジェは負けてしまいその反動で転びそうになりました。


かあちゃんは、慌ててアンジェを抱きとめ
「アンジェは、危ないから、あっちの方で遊びなさい!」
と通路の下の畑におろしました。


畑には、かあちゃんが丹精こめて育てた大根が青々と葉っぱを広げています。
アンジェは、喜んで大根畑の中に降りていきました。


勢いの良い大根の中にアンジェは隠れてしまいました。
「アンジェ、何処!」
かあちゃんは、慌てて探しました。



アンジェは、アンジェの背丈ほどもある大根を持って葉っぱのあいだから、顔をだしました。
「大きいのを取ったね。今度は、負けなかったか!」


かあちゃんは、草には負けたけれど
大根には負けなかったアンジェを見て微笑みを浮かべました。



向かいの「なんでも屋」に預かられている雪ちゃんがよちよち歩きでやって来ました。

二人は、面白がって大根畑の中を駆け回りました。
「何処にいるの? 大根の葉っぱが揺れるのは分かるけど、二人の姿は見えない!」
と、言ってかあちゃんと「なんでも屋」のおばさんは笑いました。


そのころ、アンジェは誰が母親なのかわかんなくなっていました。
アンジェがよちよち歩きの頃のことです。


ある日曜日の午後、ママは、押仕入れの整理に夢中でした。
アンジェは、お人形さんと二人でままごと遊びです。
「マリーちゃん、よくいらしゃいましたね!お茶をどうぞ!」
アンジェは、お人形と話しながら遊んでいます。


押入れの中の埃をかき出して塵取りに入れて振り返るとアンジェがいません。

「アンジェ!何処!」

ママは、慌てて台所へ行き庭の植え込みを掻き分けて探しました。

「アンジェ!!何処!」

ママの声は、苛立って来ました。」



大家さんに通じる廊下の片すみに古いミシンが置いてありました。
アンジェは、ミシンの足ふみの台に座って口をもぐもぐしていました。

「何を食べたの?」

ママは、驚いてアンジェを抱き上げました。

「あら、チョコレート?これ、どうしたの?」

ママは、アンジェからチョコレートを取りあげて怖い顔をしました。
アンジェは、足をばたつかせて泣き出しました。


アンジェは、ママの手を振り払い逃げ出したのです。
よちよち歩き、いや、よちよち走りで!

ママは、驚いて

「何処へいくの?」

と、後を追いかけました。



アンジェは、知らぬ顔をして真直ぐに大家さんの玄関に飛び込んで行きました。


廊下続きの住まいが便利だと思って暮らしていた亜鳥井家の生活でしたがアンジェが成長するに連れて心配事も増えてきました。

「アンジェたら、私が叱ったら、大家さんの家に逃げて言ったのよ!」
ママは、パパに言いました。


「アンジェは、母親が誰なのか分からなくなっているんだよ」

パパも、気づいていました。

「朝から、夕方まで一緒なのだから、仕方ないけれど?」

「だからって仕事を止める訳にはいかないし」

ママは、頭を抱えていました。


「ぼくが、アンジェと話してみるよ。彼女にわかるようにね!」

「御願いね!それでもこのままの状態が続くときは覚悟をしなければ!」

ママは、何か決心したようです。


「仕事は止めないよね!」

心配そうにパパは、言いました。

「もちろんよ!私から仕事を取ったら何もなくなるもの」


そうなのです。ママは、仕事が好きなのです。アンジェが生まれてから保育の仕事の大切さを実感しているところでした。


でも、問題は足元から起こり始めるものなのす。
ママは、何とかここを乗り越えなければ前に進めないな?
と、心の中で思い始めていました。









posted by ノンビイ at 12:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月04日

児童館設立:東洋の魔女が活躍した時代

アトリエ:アンジェ物語(5)東洋の魔女と児童館


古い話です。

東京オリンピックのころ、赤ちゃんだった人が主人公です。


主人公の名前は、アンジェ、話しているのは本人?


日本中で、一番テレビが売れた年、それは、この年だったと思います。


もちろん、地レジでは、ありません。
白黒テレビでした。

どこの家でも、テレビに釘付けになて居て朝起きるのが辛い日々が続いていました。



赤ちゃんに、お乳をあげるために夜起きる事は苦痛ではないのに、テレビに夢中になっていて
次の朝、起きられないのは困った事でした。




眠い目をこすりながら、仕事場に急ぐのがみんなの日課になりました。

「バレーボール凄いね!」

「女子も男子も」

「勝て居るときは、安心してみていられるのだけれども、危なくなると心配になるよね」

そんな話が飛び交っていました。



「東洋の魔女だて!」

「ジャンプする姿が魔女なのかな?」

テレビの普及するまでは、あまり見たことの無い世界が目の前に映し出され日本中が驚いているのでした。





金メダルの数が話題になり始めました。

メダルを取ることがそんなに簡単なことではないのに人々は、メダルの数に執着し始めていました。



アンジェは、開会式の綺麗な旗の波やユニホーム姿のお姉さんやお兄さんに興味を示すのか、音楽に反応するのかテレビを付けるとおとなしくなりました。



日曜日には、パパの寝巻きの懐に入れられて首だけ出した姿で画面を見ていました。
これは、我が家の子どもに可愛がり方と言えることでした。






「今日、PTAの総会があってね!

 町中の小林さんが
「児童館をつくろう」と発言したの?
 
そこにいたお母さんたちは、何のことか分からなくて困っていたよ」




大家さんのかあちゃんは、授業参観に行って総会にもでたのでした。


「東北大の事務室に勤めている人だって!小林さんって!」

「私たちが児童館て何に?

聞いたの、そうしたら

「子どもが、学校から帰ったら、遊ぶ所だって!」


「何も、家の庭とか、野原で遊べばいいでしょうにね!」

かあちゃんと隣の奥さんは、考え込んでいるようでした。




アンジェのママは、町の人々が児童館の役割を、まだ、理解していないんだ!と、思いました。



そのころ、町では、少しずつ働くお母さんが増え始め、学童保育やかぎっ子教室が話題になっていたのでしたがこの舘下の町では、意味さえも理解されないような現状のようでした。




「働くお母さんて、アンジェのママみたいな人のことでしょう」

アンジェが学校へ行くようになたら、家に帰ってこないで

「公民館の児童何とかに行くてこと!」

お母さんは、今にもそこへアンジェが連れていかれるかのように怒りをあらわにしていました。

その話を聞いていたアンジェ・ママは困った顔をしていまた。



これでは、幼児教室の開講の話なんて、きりだせないわ!!

アンジェ・ママは、心の中で自問自答していました。




子育についての願いは、今も昔も変わらないのです。

子育てに忙しいお母さんたちは、忙しい中でも子ども達の生活が安全で楽しいものであることを願っています。

それは、今も昔も変わらない願いです。



そのころ、アンジェの周りには信頼できる預かり主を探している働くお母さんたちがたくさんいたのです。その人たちは、欲を言えば、集団の中で、将来、自立に耐えられるような生活習慣を身に着けさせたいものだと願っていたのでした。



しかし、田舎の社会の生活では、「こどもは、家で母親が育てるもの」と言う考え方が一般的でしたので、「児童館の設立」「赤ちゃん教室」などと言う考え方は理解されがたいことでした。



「学校が終ってから、夕方までの間 みんなと仲良く遊んだり、宿題 やったりする所が 児童館なんでしょう。そうゆうところがあたら、助かるね」


呉服屋さんにお勤めの光子ちゃんのお母さんが言いました。


「役場では、その話がよく出るようになったの!」

と、ゆきちゃんのお母さんが言いました。



「ゆきちゃんのママ、今度の出張のとき、どんなところか見学してきてよ」

アンジェ・ママは、ゆきちゃんのお母さんと仲良しになっているようです。

「仙台では、まだでしょう。東京には、できているのかな? 調べてみる!」

ゆきちゃんのママは、笑顔を見せました。




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2011年02月01日

アンジェの物語 C赤ちゃんの入浴はおばあちゃんの手を借りて!

マイ、アトリエ・アンジェ(4)赤ちゃんの入浴



阿東さんの家の隣に89歳になるおばあさんが住んでいました。
おじいさんは、便利屋さんという仕事をした人です。


バッパ!アンジェを湯に入れるから手伝って!!」
お母さんが声をかけると
「今、行くから待ってろ」
おばあさんはニコニコした顔で表れます。



「赤子は、いいね!ぷくぷくして可愛くて、みずみずしくて!」
バッパは、口癖になて居ることばを今日も口にしました。



お湯をバケツに入れてお母さんが現れ、大きなタライに入れるとタオルに包んだ
アンジェを静かにお湯に付けていきます。
バッパは、ガーゼを持ってやさしく赤子の体を洗っていきます。
「気持ちいいねー、気持ちいいでしょう。」
お湯を手でしゃくってかけています。



赤ちゃんは、乾いたタオルに移され、着物に着替えさせられました。
「さあ、お昼寝だよ!」
「気持ちいいから、すぐ寝るよ」
バッパは、目を細くしてアンジェの顔を見ながら、会話を楽しんでいるようです。



「ばあちゃん、じいちゃんに頼みがあるんだけど、仕事大丈夫かね」
おかあさんは、便利屋さんの仕事をじいちゃんにしてもらおうと考えたようです。


「遠くじゃなければ何とかね。」

「バスに乗って大平の学校まで弁当を届けて貰いたいんだ」

「ああ、パパにか!」

ばあちゃんは、お母さんに頼まれたお弁当を持って帰っていきました。


これで、「お弁当はパパに届く」一安心です。



そのころは、まだ、保育所は、3年保育は4歳児から預かる事になっていました。

そのころは、まだ、働きたくても働きに出られないお母さんが多くこの館山町で保育園に入れる家庭は稀でした。


「小さい子は、親から離れない方が良いよ。やぱり!」

「でもね、これから、外で働く女の人が多くなるんだから、保育園での生活は大事だと思うよ!」

綾さんと澄江さんが、珍しく議論をしています。



「都会の人は、そうだとしても、この田舎ではね!」

と、言う澄江さん

「この町は、3年保育でも、4歳児からだから、可哀想だよ。見てご覧ん!
 ママが働いているのにアンジェは、保育園にはいれないからー」

綾さんは、保育制度の遅れを指摘していました。


「あら、アンジェ・ママは、アンジェが可哀想だから、お母さんに頼んだんじゃなかたの?」

澄江さんは、驚きを顔に表していました。

そうなんです。まだ、働くお母さんの時代ではなかたのでした。



保育園の子どもたちは、園庭の前にある「小鳥の家」に集まっていました。

「黄色い鳥は、インコ!」

「嘴が赤いのは?」

「ああ、あれは、文鳥!」

「あの目立たない鳥?は!」

「あれは、十姉妹」


アンジェ・ママは、小鳥たちが枝から枝に飛び移る様子を見ながら、子どもたちと話しています。
こんなときは、自分の子どものことなど思い出す暇は無いのでした。


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posted by ノンビイ at 10:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月19日

(3)大家さんの三人姉妹とアンジェ

大家さんはでは、女の子ばかりの三人姉妹でした。


仙台の電力会社に勤めている父ちゃん(お父さん)とかあちゃん(お母さん)
の5人家族です。



「離れ」には、アンジェの家族、パパ、ママ、アンジェの三人住んでいますので
この家には、8人の人が住んでいることになります。



アンジェは、おっぱいとミルクを飲んで日に日に成長しています。

生まれたときは、3060グラムだったのが3ヶ月の間に千3百グラムも増えて
元気な笑顔を振りまくようになてきました。




大家さんの三人娘たちがかわるがわるアンジェをあやしに来ます。
一番上のお姉さんの綾さんは、高校生で朝早くのバスで仙台の女子高までかよていきます。





綾さんは、学校に行く前に離れ座敷をのぞきに来ます。

「アンジェ!行ってくるね!」

一言ことばをかけるとパタパタと靴の音を残してバス道路の方に走っていきます。

「ぶーあぶ、ぶーあぶ」

アンジェは、小さな手を振って見送ります。





二番目のお姉さん、澄江さんは、

「アンジェちゃんのミルクできたよ。お出で!」

と、アンジェを抱き上げると横抱きにして哺乳瓶の口をアンジェに含ませてくれます。

まるで、お母さんみたいに暖かい膝の上でアンジェはいい気持ちで眠ってしまうことも度々です。




三番目は、安子ちゃん!

かあちゃんは、「安べい」と呼びます。

今年、小学校の一年生!

「アンジェなんが、大嫌いでよー」

と、言って舌を出し「ベロベロ バア!」とおどかします。





三人がそれぞれ学校へ行ってしまうとアンジェは、かあちゃんとゆっくり遊びます。

「アンジェ、今日は、畑の草取りだよ。おとなしくするんだよ」

お母さんは、アンジェを背中におんぶして手ぬぐいをかぶり畑に出て行きました。




そのころは、まだ、働くお母さんは珍しく、この館山町で保育園に入れる家庭は稀でした。

「小さい子は、親から離れない方が良いよ。やぱり!」

「でもね、これから、外で働く女の人が多くなるんだから、保育園での生活は大事だと思うよ!」

綾さんと澄江さんが、珍しく議論をしています。




「都会の人は、そうだとしても、この田舎ではね!」

と、言う澄江さん



「この町は、3年保育でも4歳児からだから可哀想だよ。見てご覧ん!
ママが 働いているのにアンジェは、保育園にはいれないからー」

綾さんは、保育制度の遅れを指摘していました。




「あら、アンジェ・ママは、アンジェが可哀想だから、かあちゃんに頼んだんじゃなかたの?」
澄江さんは、驚きを顔に表していました。

そうなんです。まだ、働くお母さんの時代ではなかたのでした。



保育園の子どもたちは、園庭の前にある「小鳥の家」に集まっていました。

「黄色い鳥は、インコ!」

「嘴が赤いのは?」

「ああ、あれは、文鳥!」

「あの目立たない鳥?は!」

「あれは、十姉妹」

アンジェ・ママは、小鳥たちが枝から枝に飛び移る様子を見ながら、子どもたちと話しています。

こんなときは、自分の子どものことなど思い出す暇は無いものです。





アンジェのママは、出産の時、輸血をしていました。
その後、このことは、一家にとての一生抱える問題になたのです。




輸血による肝炎、その頃は、ビールス性肝炎と言われていて輸血のほとんどが
売血でまかなわれていた時代でしたので命の危険からの脱出だけで安心してしまて居ました。

が、発病は、2週間後にやってきました。



治療は、毎日の注射と飲み薬が山ほど、気だるく破気のない毎日がつづき
せっかくの夏休みも暗い顔で過ごす日が多く、アンジェが可哀想でした。




「おばあちゃんの家に行こうか?」
パパが、言い出しました。

「お盆には、まだ、早いでしょう!」

ママが、躊躇しているのを横目で見ながら、パパは、外出の準備の荷物作りを始めました。




バスに乗って、汽車に乗って
東北本線上りで40分余りのところにおばあちゃんの家があります。

「アンジェ!よく来た!よく来た!」

と、おじいちゃんもおばあちゃんもアキおばちゃんも
モエおばちゃんもかわるがわるアンジェを抱っこし合いました。




賑やかなところに来てアンジェは、興奮したのか

「ブーブーアブアブ」

と、訳の分からない事を言い続けています。




夕食になりました。

アンジェは、まだ、食べられませんがパパは、大喜びでおじいちゃんとビールを飲んでいます。

ママだけは、だるそうにして何も口にしません。




ママの姉妹たちは、そんな事にお構いなくトウモロコシや枝豆など口に運びます。

「お母さんの作ったものは、美味しいから、お姉ちゃんも少し食べたら」

と、言って進めます。



それに、つられてママが、箸を取りました。

アンジェは、「よかった!」と思いました。



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2011年01月17日

ノンビイかあさんの願いは、保育所と児童館を作ること

● 赤ちゃん友だちが3人・ゆきちゃん・みきちゃんとアンジェ


ノンビイに赤ちゃんが生まれて、その名前を「アンジェ」と言いました。
いや、今も名前は変わりませんが、だれも、アンジェちゃん!
なんて呼びませんがね。



わたし(ノンビイ)の家族は、パパとわたしとアンジェの3人になりました。
アンジェの家は、阿東さんの屋敷の離れ座敷です。
そこは、わたしが保育園に勤めるために借りた部屋に夫であるパパが住みついて
アンジェが生まれたと行くことです。




昔はこの田舎の町は、まだ、アパートなどと言うものはありませんでした。

アンジェの母は、学校を卒業して、この町に就職したのでした。



新しい職場は、保育園の保母さんです。
役場の人が住む場所として、お世話をしてくれたのがこの阿東さんの家の離れだたわけです。


この離れの部屋は、6畳に広い周り廊下が付いていました。そこは、1部屋ぐらいのスペースが
あったので、こどもを遊ばせたりするのには、十分でした。
ていねいなつくりの、建物だったので隙間風一つ入って来ませんので快適な生活が出来ました。




保育園は、役場と小学校の間に建っていて、園児が遊ぶときは小学校の校庭を使いました。

幸いなことに小学生の子どもたちは、小さい子どもの面倒を見てくれるので
園庭が無くても余り不便は感じていなかたようです。




働くお母さんが増え始めた頃だたのでアンジェの母は、朝早く出勤していきました。


アンジェは、大家さんのお母さんと朝ごはんのミルクを飲みお散歩に出かけ
大きな桜の木のしたですずめが走り回るのを見ていました。



道を挟んで向かい側では、「何でも屋さん」がお店を開いていました。

あまり忙しくなさそうな「何でも屋」のおばさんも女の子を一人預かっていて
アンジェは、その子と遊ぶのが好きでした。



「ほうーら、アンジェ!ゆきちゃんがきたよ!」
阿東さんが頬ずりをしながら、アンジェをゆきちゃんの顔に近づけると
ゆきちゃんは、「きゃ、きゃきゃ」と、声を出して笑うのです。



それを見てアンジェは喜んで「あぶっ、ぶっ、ぱあっ」と、わけの分からない声を発して喜びます。
そんな事で、ゆきちゃんとアンジェはお友達になりました。



大家さんの阿東さんをアンジェは「母ちゃん」と呼びました。

もう一人、おばあちゃんに連れられて「何でも屋さん」に来る女の子、それがみきちゃんです。
三人のこども達のママは、みな働いています。



保育所は、4歳にならなければ入れませんでした。
三人のお母さんたちの願いは、赤ちゃんから入れる保育所にすることでした。



そのころは、まだ、何処も貧しく慎ましい生活をしていました。
父と母は、共働きで、朝早くから、忙しい一日の生活が始まるのでした。



赤ん坊は、「可哀想!」と言う父の一言で、その生活リズムからはずされました。

母の言い分もそうでした。

「わたしたちの都合で子どもを早朝から、たたき起こす生活を押し付けるわけには
行かない」と言うことで、わたしたちはアンジェが寝ている間に出かけていきました。



大家さんのかあちゃんがそのあとの世話を受け持ってくれました。
都合の良いことにアンジェは、離れに寝かされていましたから・・・
posted by ノンビイ at 12:47| Comment(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月14日

[ 子育て支援の歴史「この家族に歴史」を書き始めたころ

しばらくぶりで「子育て支援の歴史」を書き始めたころのページをめくってみました。



平成9年6月から始まっていたこのプログは、日記風の語り口で書くことに決めていたのにいろいろと迷走していました。

これから、少しずつ整理して読みやすいものにしていこうと思います。



はじめにわたしたちの歴史を書きます。
わたしと夫、それに娘が一人の3人家族でした。



夫は、公立学校の教師、わたしは、少年団関係の事務、娘は、後に、児童館の先生になりました。
考えてみると、3人とも子育て支援に関わる仕事をやっていました。夫も娘も、みんな子供会やスポーツ少年団などとの行事が好きでした。

ちびっ子1.jpg

いつも、家の中は、子どもたちの声で賑やかでした。
もちろん、仕事とのかかわりもあったからです。


そのような事を日記風に書いてみたいと、以前から思っていました。



夫が、胃がんの宣告を受けたとき
娘は、上の子をお腹のなかに宿していました。

娘、娘の夫とわたしたち夫婦4人で、幸せな生活をしていたときの突然の宣告でした。



わたしは、この現実を「何とかしてそのことを本人に伝えないで済ましたい」とおもいました。



手術が終わって、目が覚めたとき、わたしは、ベットの側で笑っていました。
しばらくわたしの顔を見ていた夫は「ママが笑っているからだいじょうぶなんだね」といいました。
わたしは、笑顔でうなずきました。笑顔は、病室だけの顔でした。

逃げ出しがたいこの現実、逃げ出すために、パソコン教室に通いはじめたのでした。



当時、わたしは、子育てを支援する役所に務めていました。アクテブな場所なので、外での活動が
主でしたから、その間は、夫の病気のことを考えないですみました。



夕方から、パソコン教室でキーボードをたたいているとそれ以外のことは考えないので、いいのでした。




2年後の秋に、夫は旅立ちました。
長年の相棒がいなくなることは、ショックでした。



ボーとしていてやっと「一日がやっと過ぎた」と、言う毎日から早く抜け出すために仕事で覚えたきたスキーをするようになり山へ行くようになりました。



雪の山を滑って、遠い景色を見る!
仙台と山形をつなぐ仙山線に「面白スキー場」があります。

そこは、電車から降りるとそぐリフトです。そこでおばさんたちのサークルをつくりました。



そのサークルの名前は「エーデルワイス」その仲間たちに支えられて、わたしは、立ち直りました。


しかし、スキーは、シーズンが短いのです。
そのほかの時間は、「何に使いましょうか」と考えました。
もう、仕事は、止めていました。

社交ダンス.jpg

体が老化しないように鍛えておかなければなりません。
スキーと同じように筋肉を使うダンス・・・

社交ダンスは、ただの男女の遊びと考える風潮がありますが、ハードなスポーツなのです。

「ハイヒールで床をつかむのですよ!」
と言う声がいつもかかりました。

おかげさまで足腰が鍛えられて元気に立ち直りました。


posted by ノンビイ at 11:04| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月01日

山形・蔵王名物…樹氷のライトアップ始まる

樹氷のライトアップが始まった蔵王スキー場


山形蔵王スキー場の樹氷のライトアップは、スキーを楽しむ者にとって
待ちどうしいイベント、みんなこの日を待っています。


今年も、順調に雪が積もったらしく美しい姿が楽しめそうでうれしい思いでいっぱいです。

樹氷1.jpg

新聞によると、15メートルの強風が吹きつける中、山形市の「蔵王温泉スキー場」
の名物樹氷のライトアップ」
が29日夜から始まり、初日から大勢の観光客で
にぎわったようです。

 

今年で22回目を迎えた樹氷のライトアップなので。
標高1660メートルにある地蔵山頂駅付近では、赤と青、緑、白の4色のライトが
樹氷原を照らし出しているようでわたしたちの合宿の日が待ちどうしい限りです。


樹氷2.jpg


12月29日午後6時ごろの山頂付近の気温は氷点下10℃まで下がり15メートルの
強い風が吹きつけていたそうですが、「蔵王ロープウェイ」によると
樹氷は数日前からの冷え込みや吹雪で成長し始め「スノーモンスター」と呼ばれる
姿に近づいているといいます。

蔵王スキー場1.jpg

29日は、遠くは沖縄県などから多くの観光客が訪れ、足を取られるほどの吹雪の中
ライトで浮かび上がった幻想的な樹氷を写真に収めていたようです。
樹氷は、2月初め頃に最も巨大となって、見頃になります。
posted by ノンビイ at 11:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月24日

安比高原スキー場:ウインタースポーツの醍醐味を教えてくれた安比高原スキー場

ウインタースポーツの楽しみを教えてくれた安比高原スキー場




安比スキー場.jpg21コース.jpg


安比高原スキー場は、原生林に囲まれた岩手県北西部にあります。

八幡台国立公園もすぐ近くにあって自然の美しさと雄大さを感じさせて
くれます。




標高1300m〜1500mの山々が連なっている安比高原はリゾート開発
第一弾として安比高原スキー場ができました。




蔵王の雪とは、また、違った極上の雪に目中まれて気持ちよくすべることが
できます。滑走できるコースが21もありますが、どのコースも山頂から
したに向かって伸びていますので、迷うことはありません。


滑走.jpg


滑りながら眺める風景は格別で、鳥海山から日本海まで見渡すことができる
絶景です。





周りには、豪華なホテルがたくさんありますが民宿も点在しており、そこの
利用は、格別に味のあるものです。





わたしたちは、女性だけのスキーサークルなので、林業センターを利用させて
もらっていますが安全で、いい湯が沸いていて、ご馳走も手ごろです。
更に、お値段は、格安なのでとても快適なスキーツアーができます。





ゲレンデには、それぞれ鳥の名前がついていて覚えやすいです。
滑走に疲れたらブナ林を散策したりして楽しむのもいいものです。



楽しいね!.jpg

今年で、安比スキー場ができてから30年になるそうです。
ウインタースポーツを楽しませてくれる安比高原スキー場は
わたしたちのスキーサークル「エーデルワイス」の思い出多い
土地となっています。


posted by ノンビイ at 15:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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